日本の音楽シーンを長年支えてきた宇崎竜童さん。
現在の年収は3000万円以上とみられており、その安定した収入の背景には全盛期に築いた資産の存在があります。
妻で作詞家の阿木燿子さんと暮らす自宅は、港区赤坂の一等地に構えられていることでも有名です。
この記事では、宇崎竜童さんの現在の年収の内訳や全盛期の収入、そして赤坂の自宅について詳しく解説していきます。
まずは宇崎竜童さんのプロフィールを簡単にご紹介します。
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宇崎竜童さんは1973年にダウン・タウン・ブギウギ・バンドを結成してデビューしました。
バンド活動と並行して作曲家としても活躍し、妻の阿木燿子さんとのコンビで数々の名曲を世に送り出しています。
80歳を迎えた今もなお、現役で全国を飛び回る姿には本当に頭が下がりますね。
Contents
宇崎竜童の現在の年収3000万円の収入源
宇崎竜童さんの現在の年収は、推定で3000万円以上と言われています。
その理由は、収入の柱が一つではなく、複数の活動から成り立っているからです。
具体的にはライブ活動、印税、俳優業などが挙げられます。
ここでは主な収入源を三つに分けて見ていきましょう。
ライブ・コンサート活動
現在の収入の大きな柱がライブ活動です。
なぜなら、2026年も全国各地で多数の公演が組まれており、稼働量が非常に多いからです。
例えばギター1本で行う弾き語りライブ「JUST GUITAR JUST VOCAL」は各地のホールで開催され、チケットは5000円から8000円ほど。
世良公則さんとの共演や、和田静男さんとのバンド形式の公演では8000円から9900円と、やや高めの価格設定になっています。
80歳でこれだけの本数をこなす体力と情熱には、ただただ驚かされるばかりです。
印税収入
もう一つの安定した柱が印税です。
宇崎竜童さんはこれまでに約5000曲を手掛けたとされ、その膨大な楽曲が今も収益を生み続けています。
特に山口百恵さんへの提供曲からの印税は大きく、宇崎竜童さん自身もCDやDVDの印税が今でも入ってくると語っていました。
近年はダウン・タウン・ブギウギ・バンドの楽曲がサブスクで配信されるようになり、新たな収入の流れも加わっています。
楽曲の著作権からの収入は年間2000万円規模とも噂されており、まさに「生きた資産」と呼べるでしょう。
その他の活動
音楽以外の活動も年収を支えています。
俳優として映画やドラマに出演するほか、映画音楽や舞台音楽の制作なども手掛けているためです。
ジャンルにとらわれない多才ぶりが、収入の幅を広げていると言えます。
一つの分野に依存しない働き方は、私たちにとっても参考になりますね。
宇崎竜童の全盛期の年収は推定1~2億円
宇崎竜童さんの全盛期は1970年代後半から1980年代前半で、当時の年収は1億円から2億円に達していたと推定されています。
現在の年収の3倍から7倍にあたる金額ですから、当時どれほど音楽シーンの中心にいたかがうかがえます。
その収入を支えたのが、次の二本柱でした。
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのヒット曲
まず挙げられるのがバンドの大成功です。
1975年に発表した「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」と「スモーキン’ブギ」が爆発的にヒットし、同年にはNHK紅白歌合戦にも出場しました。
フロントマンとしてコンサートの出演料と楽曲の印税、両方から大きな収入を得ていたのです。
ちなみに「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は、作曲部分がサビの3小節ほどしかないにもかかわらず、作詞の阿木燿子さんと同額の印税が入り続けたという逸話も残っています。
山口百恵への楽曲提供による印税収入
全盛期の収入を押し上げたのが、山口百恵さんへの楽曲提供です。
阿木燿子さんが作詞、宇崎竜童さんが作曲という夫婦コンビで、「横須賀ストーリー」「プレイバックPart2」「ロックンロール・ウィドウ」「さよならの向こう側」など30曲以上を提供しました。
そのほとんどがヒットしたのですから、印税の規模は想像を超えるものだったでしょう。
しかも山口百恵さん本人が二人への楽曲提供を自らリクエストしていたことを、宇崎竜童さんは引退から約30年後の食事の席で初めて知らされたそうです。
深い信頼で結ばれた関係だったことが伝わってくるエピソードですね。
宇崎竜童の全盛期の収入が生んだ資産
全盛期の莫大な収入は、形を変えて宇崎竜童さんの資産となりました。
不動産、著作権、事業という三つの側面から築かれた資産が、現在の安定した生活の基盤になっているからです。それぞれ順番に見ていきます。
港区赤坂の自宅と事務所ビル
最大の有形資産が、港区赤坂に所有する2棟の建物です。
3階建ての自宅と、隣接する同規模の個人事務所ビルで、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」の大ヒットを機に取得したと伝えられています。
都心の一等地に2棟を構えるという事実だけで、当時の収入の大きさが伝わってきます。
楽曲の著作権資産
約5000曲に及ぶ楽曲の著作権は、目に見えない資産として機能しています。
発表から40年以上が経った今もCMや配信を通じて印税を生み続けているのですから、全盛期の創作活動がいかに価値あるものだったかを実感させられます。
ライブビストロ「November Eleventh」
1996年には、夫妻で赤坂にライブビストロ「November Eleventh」をオープンしました。
ライブチャージに加えて飲食収入も見込める事業でしたが、長年の営業を経て閉店。
最後は宇崎竜童さんの無観客ライブで幕を閉じたそうです。
音楽への愛が最後まで貫かれた店だったのだと思うと、胸が熱くなります。
宇崎竜童と妻の阿木燿子が住む自宅は赤坂一等地
宇崎竜童さんと阿木燿子さんの自宅は、東京都港区赤坂にあります。
赤坂に居を定めたのは、大ヒットで多忙になり東京に拠点が必要になったことがきっかけでした。
自宅は薄緑色の外壁が特徴の3階建てで、表札には本名の「木村修司」(KIMURA)と記されています。
入り口には「november eleventh」と刻まれた銘板もあり、かつて経営した店の名前であると同時に、夫妻にとって特別な記念日を意味しているようです。
阿木燿子さんは初めて一ツ木通りを訪れた際に直感でご縁を感じたと語っており、以来40年以上この街に住み続けています。
下町の風情と寺社の多さに守られていると感じる「大人の街」だと夫妻は評しており、土地への深い愛着が終の棲家を決めたのでしょう。
まとめ
宇崎竜童さんの現在の年収は3000万円以上で、ライブ活動と印税収入が二本柱となっています。
全盛期には1~2億円を稼ぎ、その収入で港区赤坂の一等地に自宅と事務所ビルを取得しました。
約5000曲の著作権は今も収入を生む「生きた資産」です。
妻の阿木燿子さんと二人三脚で歩んできた半世紀は、まさに理想の夫婦像と言えるのではないでしょうか!


